月山
2005.6.19
「 花の月山 」
春スキーで日焼けした顔を輝かせ、「こんどは、花が咲き乱れる月山を登りましょう。」と帰って行った三春町のK夫妻が、1ヶ月後に再びやって来た。
梅雨に入ったとはいうものの、東北の日本海側に特有な空梅雨模様の日が続き、初夏の暑さを感じさせていた。5・6月はとてもさわやかで、過ごしやすい気象が続くものだから、私の一番好きな季節だった。厚い雲が光をさえぎり、烈風が吹きすさぶ長い冬を越えた人たちに贈られたすばらしい季節。「庄内の初夏はどこにもない快さ!」と、私はいつも思っていた。その季節が今年もやって来た。
さて、月山の話に戻ろう。また、K夫妻に自宅まで迎えに来てもらった私は、昨日も会っていたかのようにK夫妻と話しながら、すっかり濃くなった山肌の緑と、いろんな木の花を眺めていた。里山では藤の花と栗の花がちょうど満開になっていて、その香りが車の中にまで漂ってくるようだ。月山の山麓に入ると、紅のように濃い色合いをした谷空木(たにうつぎ)の花が今盛りだった。里よりもずいぶん赤みが強い。そして、車の中も楽しくなってきた。志津を過ぎると、道の左右のちょっとした空き地に止まっている山形ナンバーの車が多くなってきた。K氏が「山菜採りの車?何を採っているの?」と聞いてくる。もちろんここは月山だから、「月山筍(がっさんだけ)でしょう」と私。「つまり根曲竹の筍(たけのこ)ね」とはK夫人。それからしばらくは、山登りと山菜採りとは両立しないし、山菜採りには山登りの心がわからないだろう、というような話が続いた。私が以前いた職場で「昨日、山に行って来た。」と話をしたとしよう。すると、関心を示してくれた人は「何を採って来たの?」と聞くのがほとんどで、山頂からの展望や残雪の様子を聞いてくれる人はほとんどいない。私が「山頂まで登って来たんだよ。」と答えると、「本当に何も採ってこないの。」、「理解し難い人だ。」というような反応が返ってくるのが常だった。それだけ山形県内の多くの人たちにとって、春の山は山菜採りと結び付いたレクレーションの場なのだった。
しかし、私たちにとっては、鳥海山や月山は冬期に日本海から吹き付ける季節風をまともに受ける第一線の山なだけに、春の豊富な残雪はほかの山にない強い魅力を持っていた。まず、気候が汗ばむほどになっても、いつまでもスキーができる。そして、気の向くままにどこへでも歩いて、滑って行ける。そんな残雪のシーズンが、少なくとも4月から6月まで続くのだから、私たちでなくても魅了されるはずだ。すでに、鳥海山と月山の春スキーは楽しんだ。次はお花畑の咲き始めはどうだろうか、というわけである。
姥沢の駐車場に着くと、さすがに山肌の白い領域は少し狭まってきていた。というよりも、稜線だけが黒かった1ヶ月前に比べると、黒い尾根が量感を持って迫って来た。今回は、K氏が短めのスキーを持参したが、夫人と私はスキーを置いて来た。花が目当てなのだから。それで、リフトの降り場からまっすぐ姥ヶ岳へ登り、尾根伝いに牛首までたどることにした。姥ヶ岳の東斜面はあいかわらず真っ白で、大勢のスキーヤーやボーダーが集まっている。私たちがアイゼンを効かせて姥ヶ岳の急な東斜面を登り切ると、果たしてゆるやかな山頂の草付きは高山植物が咲き始めたばかりだった。
白く、小さくて、可憐なヒナザクラ。
一面に白い絨毯(じゅうたん)を広げるハクサンイチゲ。
そして、まじりっけのない黄色さはミヤマキンバイ。
私たちは小休止をして、花を愛(め)で、雄大にそびえる月山を仰ぎ、そして振りかえっては、白い峰々が連なる朝日連峰を眺めた。姥ヶ岳で休んだ一時だけで、私たちの心はずいぶん豊かになったのだが、これは楽園の入り口に過ぎなかった。これから、私たちは姥ヶ岳から稜線を伝って、牛首、そして月山へと登って行く。
姥ヶ岳の山頂を後にした私たちは、ゆるやかな尾根の少し東側につけられた木道(もくどう)を伝いながら鞍部まで下りていく。時々、前方に白い大きな月山を見上げながら、ゆるやかな尾根筋を下りていくだけでも楽しいのに、木道の周囲は咲き始めた高山植物が満ち溢れていた。姥ヶ岳のゆるやかな山頂部は、背の低い笹がブッシュをつくっているが、ブッシュの中をよく見ると、柔らかな紫色のシラネアオイがその大きな花弁を開いていた。それも木道の周囲にだけ咲いている。登山道があるために、ブッシュの中に日が差して、シラネアオイが生育しやすくなっているのだろうか、と思いながら足を進めると、登山道は急斜面を下り始めた。
そこには思いもかけないほど華やかなお花畑が広がっている。ミヤマキンバイの濃い黄色の群落、チングルマの白と黄色のコントラスト、紅(くれない)が鮮やかなイワカガミ、そして今咲き始めたばかりの小さな小さなウスユキソウの白い輝き。私たちは息を飲み、足を止め、無言で小さな花たちのささやきを聞いていた。「6月の月山に来てみてよかった。咲き始めたばかりの花たちに出会えるなんて!」私たちのほころんだ顔には、そう書いてあったにちがいない。鞍部で湯殿山から登って来る登山道と合流した後は、いくつもの小さな(ピークとも呼べないような)高まりを越して、牛首へ歩いて行く。尾根の東側は一面の残雪が広がる。私たちはアイゼンを再び装着し、ザクッ、ザクッという小気味よい音を響かせながら牛首まで雪の上を歩いて行った。日差しは暑いが、風が冷たさを運んでくれる。
やがて、登山者が集まっている牛首に着くと、外したアイゼンをザックにしまいこみ、K氏は短いスキーをハイマツの幹に金具で結び付けてから、3人は登山靴で最後の急斜面を登って行った。この斜面の花々も見事に輝いていて新鮮なものばかりだった。
「ちょっと、ちょっと、本当に咲き始めたばかりじゃないの?しぼんだ花が全くないわよ。」 とK夫人。
「こんな時に出会ったことはないね。今日はラッキーだ。」とは私。
「毎年、登る時期を少しずつ変えて登っても、月山は面白そうだね。」と、K氏は提案する。
疲れる暇(いとま)もないままに山頂部に出た。既に山頂部の雪は消えていた。黒百合はまだ蕾が小さかったけれど、ハクサンイチゲの白い群落が一面に広がり、私たちを待っていた。ここでも、お花畑の季節が今始まったようだった。山頂の神社の建物もすっかり雪から解放されて、7月1日の山開きに向けて準備が始まるようだ。私たちは山頂から少し西側の尾根で昼食をとることにした。今日は雨も落ちてこない。ゆっくりとお握りを頬張り、ラーメンを煮てから、コーヒーを飲んだ。
「庄内(羽黒山)側から登って来る人がいないよ。」
「八合目までの道路がまだ開通していないのかな。」
そんな会話を交わしながらも、私たちは満足していた。
花の月山、その始まりの輝きの時にい合わせた喜びを、幸いを持ち帰れることに、すっかり浮き浮きとしていたのだった。
何遍、何回、登り、訪れても、月山はさまざまな顔を見せ、いろんな要素で私たちを驚かせ、魅了してしまう。
過酷な、長い、冬が創り出す、月山の輝きの一面に触れた、私たちの一日がゆっくりと過ぎて行った。
2005.6.19 (陽)