雲仙周辺
九千部山 2008.3.8 | |
久しぶりの島原、 今回は、違う方向から平成新山を眺めてみようと、九千部岳に、登ることにした。 熊本からのフェリーで島原着。 吹き越しを通り、眺めると、ぽっこり盛り上がった九千部岳が見える。 |
吹き越しからの眺望 |
田代原トレイルセンターの駐車場に車を停め、少し舗装道路を千々岩方面に歩く。 左手に九州自然歩道の案内があり、そこから九千部岳を目指す。 最初は九州自然歩道なので、幅の広い道路だが、途中から山道になる。 |
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それでも、きれいなはっきりした道が続く。 | |
この日は、ぽかぽか陽気の暖かい日だったが、登るにつれ、雪が残っている。 | |
稜線に出ると、岩場が続く。 ほとんどはロープが付いているが、雪が残っていて、岩がすべるので注意!! |
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九千部大明神がこの岩ノ下。 でも、この日は下に下りるためのロープが、雪に埋まっていて、引っ張っても取り出すことができず、断念。 岩ノ下が洞穴になっていたので、あの下に大明神があったのかな?? |
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山頂からは、ぽっこりと平成新山の火口が見える。 |
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山頂は、整備されていて、ちょっとした広場になっている。 | |
反対側に下りだすと、南斜面のせいか、岩場の雪がうそのよう!! こちらの登り口には「九千部大明神」の鳥居が建っている。 ということは、この山のメインはあの洞窟だったのかな・・・寄ってこなかったのが、ちょっと残念! |
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ネイチャートレイルが続く。 | |
環境庁の整備の賜物か、至れり尽くせりの歩道が続いている。 | |
田代原トレイルセンターが見えるころに、やっと牛たちがいた。 脇が牧場なので、環境庁がこれだけ整備したのだろうか?? |
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夏は車であふれているのかもしれないが、まだ冬の今は閑散としている。 |
吾妻岳 | |
お昼を食べるにはまだ早いので、向かい側の吾妻岳に。 | |
こちらも最初は、九州自然歩道で、立派な道から入る。 しばらく行くと右に吾妻岳登山道が分かれている。 |
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最後の数メートルは強引に山頂までつけたような道。 案の定、山頂は、林の中にひっそりと!! |
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こちらのメインは、吾妻馬頭観音らしい。 しかし、山頂をだいぶ下りないとないようで、途中で断念。 皆、九千部大明神のように、岩ノ下にあると予想するようで、岩の下まで道ができていたが、ここにはなかった。 |
眉山 H20.6.22 | |
梅雨の晴れ間をねらって、雲仙の眉山を訪ねた。 眉山という名は、白石一郎著「島原大変」に登場する。 1792年眉山が崩れ、津波が起き、肥後に甚大な被害が出たことから、「島原大変、肥後迷惑」と言われたそうだ。 しかしながら、私の記憶には、平成新山の噴火の時、眉山から撮影が行われたような記憶があって、是非行ってみたいと思っていた。 |
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眉山は、島原大変の時に崩れて、実際のピークはほとんどわからず、七面山と、天狗山の総称なのだそうだ。 そこで、七面山のピークを目指した。 島原市内は晴れているのに、登山口に近づくにつれガスが濃くなる。 |
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最初は下りの道が続き、どうなることかと思ったが、20分ほどで登りになった。 登りは木道が出来ていて登りやすい。 しかしながら、ほとんどガスで先が見えず。 |
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登山口から、小1時間で山頂。 晴れていれば正面に平成新山が望まれるはずだが、残念ながら何も見えなかった。 |
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看板の写真で想像。 平成新山が爆発していた頃はここからが正面だったのだろう。 |
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山頂の奥に、神社、七面大明神があった。 この神社は地元の人が氏子のようで、きっとお正月には地元の人たちが登ってくるのであろうと思われた。 神社の向かいに、「大崩壊した眉山」という古い看板があった。 この下が「島原大変、肥後迷惑」となった崩壊地らしい。 |
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次の日、雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」から眺めた平成新山と眉山。 カメラマンたちが被災した地点は、正面のアーチの少し上、眉山の麓だったそうだ。 |