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那須・茶臼岳
2004.12.11〜12

「荒々しいまでの那須岳」

 

 12月に入っても雪が遅い山々を選んで、関東の仲間たちは登っていることを聞いていた。私がまだ那須岳に登っていないことを話すると、仲間の一人が計画を立ててくれた。名づけて「忘年登山」。いつも飛んで来る鹿児島のS夫妻が欠席したため、メンバーは関東3名、東北3名の計6名だ。私以外のみんなは那須岳を登っている。関東地方でも身近に登れる山だから、夏は小学生の遠足コースになっているという。

 12月11〜12日に、茶臼岳と朝日岳の間にある峠を越え、小一時間も歩いてから辿り着く三斗小屋温泉へ泊まって、翌日は那須岳の峰々を目指そうというプランがつくられた。関東組は新幹線の那須塩原駅で降り、タクシーで登山口(峠の茶屋)までやって来る。東北組は、私が新白河駅で新幹線を降り、三春町から来るK夫妻の車に乗り込んで、登山口で集合することになった。10時前には集合できるだろう。

 季節は師走も半ばになっている。酒田市の職場で天気予報を気にしていると、崩れている天候が週末には持ち直すらしい。それに、秋から続いている暖気のせいで、どこでも雪は遅れているようだ。そんなことを思い出しているうちに、新幹線は新白河駅に着き、K夫妻と合流した。やがて車は栃木県に入り、那須岳の山麓を登り始めた。雑木林はすっかり葉を落としているが、まだ雪に覆われてはいない。シーズンオフで車は少ないし、別荘地もひっそりとしている。

ロープウエイの山麓駅に近づいたところで、道路のゲートが閉ざされていた。11月30日まで開いていたようだ。ゲート前の駐車場で待つこと20分ばかり。関東組がタクシーでやって来た。身支度を済ませ、カーブを描いて登っている道路を串差しにした真直ぐな登山道を歩き始めた。さすがに大気は寒冷だが、体を動かしているとかえって気持ちがいい。シーズンオフの山がこんなにも静寂なものだとは。

 

 山麓駅を過ぎると、雪があらわれた。その雪を踏みしめて登ると、やがて「峠の茶屋」に着く。ここは峠ではないが地名は「峠の茶屋」で、本当の峠たる茶臼岳と朝日岳の鞍部には「峰の茶屋」がある。誰でも間違えそうな名のつけ方だ。この茶屋を過ぎると景観は一変し、赤茶けた岩石が累々たる火山の様相を示してきた。してみると、「峠の茶屋」は峠へ向かう人たちが最後に休める場所であり、「峰の茶屋」は峠と考えるより岩峰の一部に茶屋があるというようなイメージがする。今、ふと思ったのだが。

 登るにつれて視界が開け、右手には朝日岳の急峻な岩壁が谷から聳(そび)え立っている。左手は茶臼岳の頂へと、潅木も生えていない岩だらけの斜面が続いている。不意に強い風が吹き降りて来た。顔を撫でるどころではない。帽子を、タオルを奪い去ろうとする強い意志を感じさせる強風だった。私たちはあわてて帽子を深々とかぶりなおし、喉元まで防寒着のチャックを締めた。だがやられた。私の中手袋が空に高く舞い上がったのだ。手袋はしばらく宙を泳いでいたが、私があきらめかけた頃に、谷に落ちず近くの岩陰に着地した。あわてて拾いあげる。と、今度は仲間の帽子が飛んでいくわ、タオルも飛んでいくわ。いずれも無事回収できたのだが、風もいろいろ欲しがるものだ。

 しかし、冗談が言えたのはここまでだった。「峰の茶屋」が正面に見え始めると、峠を越えた強風が私たちにまともにぶつかって来た。「風の息」という言葉があるが、強風は渦を巻くように吹き降ろして来るのだろう。2分普通に歩けたら、1分は強風で飛ばされないように力をこめて一歩一歩進んで行かなければならない。ちょっとした岩陰を出ると、身を屈(かが)めて、歯を食いしばらねばならない。だんだんと「峰の茶屋」が間近に見えて来ると、強風から烈風と言っていいほどの強さになった。みんなはサングラスをかけた。私もスキー用のゴーグルをかけると、少し気持の余裕が生まれた。誰も写真を撮る余裕などなかったが、私たちが登る姿はかなり滑稽なものに写ったはずだ。風洞実験をしているようなものだ。

 それでも、なんとかかんとか峠に出て「峰の茶屋」の風下に入った。みんなはほっとした顔をしたが、今度は寒さが身に染みて来た。ちょうど昼飯時でもあったので、「峰の茶屋」の冬期の出入口、つまりは梯子(はしご)がかけられた高い窓からザックと人間が別々に入り込んだ。風がないとはこんなにも心を安堵させるものだろうか、と私はゆっくりした気持になったが、同時に小屋の中に入り込んだ雪が溶けていないのを見て、また寒さを感じた。あまりに厳しかった風に、「こんなこと信じられないわ!」とでも言うのか、仲間の頬がほころんだ。意外なことに出くわすと、笑ってしまうことがある。精神の意外性?


峰の茶屋
 すぐに携帯コンロでコッヘルにお湯を沸かし、インスタントラーメン、お餅入りのきのこ汁、コーヒー、とまずお腹から暖まった。小屋の外からはゴーゴーと風の音ばかりが聞こえて来る。そのうち、小屋にやって来たパーテイと交代する時になった。私たちは装備を整え、帽子を被りなおし、サングラスやゴーグルを付けてから小屋の外へ出た。 

 これから三斗小屋温泉へ向って峠を西に降りる。小屋の陰から西に出ると、それこそ猛烈な風が私たちを襲撃して来た。だいたいにして風に向って立っているのが精一杯だ。後に続く仲間を振り向く余裕はもちろんない。右足を前に出すが、横に流された。道の左側に伸びる鎖をつかんで、一歩、また一歩、それこそ眦(まなじり)を決するように降りて行った。風に逆らい、必死になって降りることなんて始めての経験だ。左側の鎖が20m、右に折れて右側の鎖がまた20m。すると、風の勢いが不意に落ちた。そこで、余裕を持って後を振り返ると、いたいた。極端に腰を落とし、ガニ股の大股で、必死になって降りてくる仲間が一人また一人と足を進めている。「おーい!ここまで来れば大丈夫だぞ!」と叫んだが、むろん仲間に聞こえるはずがない。声は峠のはるか上空へすっ飛んでしまった。

峠を降りきった所にある避難小屋まで来て休んでいると、初冬の日はだんだん翳(かげ)って来た。ここは風の音がない。かわりに厚さ10cmほどの雪が登山道を覆っていた。私たちは、今日の宿、三斗小屋温泉まで平坦な雪道を急いだ。風はなくともどんどんと大気の冷えてきたのが、吐く息の白さになってあらわれている。
避難小屋から振り返る峰の茶屋

 


大黒屋内
すっかり日が傾いた三斗小屋温泉では、木造の大黒屋が私たちを待っていた。登山靴を脱ぎ、部屋に案内されると、そこは障子戸と小さなガラス窓をつけた雨戸(雪戸?)で二重に囲まれた部屋だった。石油ストーブをつけても芯から冷えてくる感じがする。さっそく温泉に浸かり、強風の名残りと底冷えする寒さを洗い流した。

 それからは、いつもながらの「節度ある宴会」が始まった。いや、「始まりは節度ある……」と言い直すべきか。「そんなことはないさ。電話は通じないし、車も来ない。ここまで来れば、身に備わった節度が出るさ。」とみんなの顔が語っていた。まず、念願だったヒマラヤトレッキングから帰って間もないが、写真のアルバムを広げ、お土産のハンカチーフを配りながら話し始めた。飲む手を休めながら、羨ましそうに聞き入る私たち。ヒマラヤへ行くだけの長期休暇がとれることを羨む者もいれば、トレッキングに耐えるだけの体力がないのを嘆く者もいたのだろう。

 やがて、話題は若い頃のスピードあふれる山行に、今年の北海道の秋山行にと、途切れることはなかった。私たちの山にしては質素で、アルコールは適量の、それでいて内容の豊かな宴(うたげ)は消燈時間まで続いていった。「話したことの半分でも覚えていればいいのにね。」とは、私たちの「たしなめ役」の思いだっただろうか。夜も更けてからまた木造りの湯船に浸かり、桃源郷(とうげんきょう)的な三斗小屋温泉の一時を味わううちに、清浄な冷気の夜は過ぎて行った。

 翌朝は寒さに身を縮め、風の音のない静寂さに気がついて、みんな目覚めた。部屋の中央の蒲団から、「おい、外を覗いてみろよ。」の声。「うー、寒い。晴れているぞ。木が揺れていない。」と窓の側から声がする。「寒い!風呂だ、風呂だ。」の声に釣られて、数人が部屋を後にした。

 寒気は厳しいが、雪は降っていない。確かに天候は回復したようだ。部屋に運ばれたお膳を「ロの字形」に並べて、朝飯を食べながら今日のコースを相談する。「那須の最高峰、三本槍岳へ向うなら、温泉から隠居倉ノ頭へ直登し、稜線へ出てから三本槍岳を往復し、朝日岳を経由してあの「峰の茶屋」へ戻る。そして時間があれば茶臼岳、なければ下山しよう。でも多数決だからな。」とは元高校山岳部。さすがに余裕がある。

 すかさず、「朝日岳から「峰の茶屋」までが雪と風とで厳しそうだから、隠居倉ノ頭へは直登しないで、まず「峰の茶屋」まで戻ろう。そして茶臼岳は登ろうよ。那須の象徴なんだろう。」との声に、「俺はもう登っているから、どちらでもいいよ。」 「下山してから、大丸温泉にも入るんだろう。」後押しする声が続いて、多数決となった。

 起き掛けに風呂へ行った時、通り過ぎる各部屋の前には、どこもスリッパが並んでいた。してみれば、昨夜の大黒屋は満室だったのだ。わざわざ強風の峠を越えてやって来る物好きは、私たちだけではなかったということだ。


大黒屋玄関

続々と出かけて行く宿泊客に混じって、私たちも防寒着で着膨れした姿で記念撮影した後、大黒屋を後にした。幸い、雪は昨夜積もらなかったようだ。昨日とは打って変った晴天と風のなさに、私たちの気持ちは軽やかだった。

 

峠下の避難小屋で一休みした後、峠にかかる急斜面のジグザグを、「ほら、ここまで来るのが大変だったんだから。」とか、「今日は、峠に風が吹いていないようだね。」、「昨日の強風はなんだったんだろう。」などと、私たちは話をしながら気楽に峠を登って行った。


避難小屋(12日)

峰の小屋への登り
ところが、峠にあと20mという所で、またあの風の声が聞こえて来た。そして登り切ると、結構な勢いの風が峠を越えているのには、みんな唖然(あぜん)とした。「ここは風の通り道だ。それも強風の。昨日のようなことはしっちゅうあるのに違いない。」それが私たちの実感になった。昨日と同じく、北の朝日岳はよく見えるが、南の茶臼岳には厚い雲がかかっている。

私たちは小屋の東側で、つまり風を避けて少し休んだ後、右手から風を受けながら茶臼岳を登り始めた。


雲に覆われた茶臼岳

 峰の小屋のすぐ先、稜線の東側には小屋の残骸があった。昔、硫黄採掘をしていた名残だという。登山道は累々たる岩石の中を、茶臼岳を左手から巻くように上っている。やがて、少し平坦な地形に出た。そして、今度は本格的に「逆さまに置かれた茶臼」そのものを登り出した。地熱で雪が消えている場所もあれば、蒸気を噴き出している小穴(しょうけつ)もあった。登り切ると、そこは山頂部の火口だった。平坦になった火口の外輪を、向い側の山頂まで左から回り込んだ。


茶臼岳山頂
山頂に近づくと、南斜面に沿ってやや強い風が吹き上げて来る。雲も運んで来る。私たちは誰もいない山頂で記念写真を撮ったのだが、1回目のシャッターは岩の上に置いたカメラが風で傾いたため無効になった。

 那須岳を代表する山、茶臼岳。夏であれば大勢の登山者、それこそ小学生まで団体で登って来る山頂には、初冬の今は誰もいなかった。季節を選んだだけで、こんなにも静寂で、山そのものに触れることができるとは、大きな発見だった。「そうか。冬山の魅力の一つはこのことなんだな。」と私はうなづいた。

山頂から左回りに下りはじめると、那須岳の峰々を一望することができた。強い風に左の頬を打たれながら、私たちはカメラを取り出し、思い思いのフレーズで急峻な朝日岳を、稜線を、そして最北に位置する最高峰の三本槍岳を眺めては、撮影した。むろん、コロコロと着膨れした被写体を入れて。これで、那須岳山行のハイライトは終わった。


  茶臼岳山頂から望む三本槍岳と朝日岳

 


             茶臼岳山頂より三本槍岳を眺める。

無限地獄から北を望む

私たちは、風を背に受けながら峰の小屋から峠の小屋へ下り、そして大丸温泉の露天風呂で脚を伸ばした。バスで黒磯駅へ向う関東組を見送った後、3人の東北組は冬枯れの那須野を去って行った。後を降り返れば、あの大きな「逆さまの茶臼」がしばらく見えていた。

 

 こうして、始めて経験する初冬の1900mの山は終わった。私のザックには、那須岳のために始めて購入した登山用のストック、使う機会がなかった8本爪のアイゼン、冬山用の二重手袋、そしてオーバーズボンがしまわれていた。郡山駅でK夫妻と別れ、折悪しく満員だった山形新幹線の「つばさ」に乗り込み、米沢駅まで立っていても、私の心は那須岳の強風を受け、冷気に包まれた充足感でいっぱいだった。

 

 そして、私の山日誌には次の記録が残った。

 

 東北新幹線の車窓から眺め続けていた那須岳に登る。

 始めて初冬の山に登る。

 予想だにしなかった強風に顔を叩かれ、体を、脚を煽られる。

 厳しい冬の到来を告げる寒気の中で終日行動し、温泉の効能を確かめた。

 岩石累々とした茶臼岳の斜面、すべてを逆落としする朝日岳の岩壁。

 荒々しいまでの那須岳がそこにあった。

 

                2004.12.12   ( 陽 )