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            高隈山系

 高隈山は、鹿児島県で、屋久島、霧島に次ぐ高山群です。
   日本300名山に数えられる大箆柄岳(1237)を筆頭に
 1000メートルを超える七つの峰が連なりさまざまなルートが開けています。
       大箆柄岳の「箆」は「スズタケ」の意味。
       地元ではスズタケのことを「がら」と呼び、
  昔はスズタケで覆われていたため、このような名がついたものと思われます。
地元では、大箆柄岳のことを、本岳と呼び、古くは霧島と並ぶ霊山で、
修験道の本山として山伏たちの修行が行われていました。
江戸時代になると民衆が講中を組んで、岳参り(タケメイ)をしていたそうです。
そのなごりか、各峰には、いたるところたくさんの祠が残されています。     
中心の妻岳は昔「スマン岳」(須摩獄)と呼ばれていました。
          「スマン」とは、鹿児島の方言で「隅」のこと。
            鹿屋、垂水の隅に位置することを表しています。
          その麓の峠をスマン峠といいます。
この山の北東にあたる、大崎町野方から眺める高隈連山は、鷹が羽を広げたように見え、
大昔南九州を納めていたという『熊襲』を連想させられます。



御岳登山コース
Bテレビ塔下登山口
  鳴之尾牧場登山口
大浦登山口   
C瀬戸山登山口   
白山神社 縦走コース@
白山ー横岳ー平岳ー二子岳ー妻岳ー御岳
刀剣山 大箆柄岳登山コース
@垂桜登山口
A猿ヶ城登山口
D高隈渓谷登山口

    

大隅湖
堰止め湖:
細長い湖でボートなどはないが
桜やあじさいの季節は花が美しい。

                        


高隈山信仰の文化財

横岳の石祠 山頂に高さ1メートルの大祠があり、正面下に鳥の羽根をつけた山伏像と荒神像?が
向き合って戦う姿が描かれている。祠内に『岩本善兵衛』と刻まれ、年号はないが
『垂水市史』に、「垂水家中、中紙進上一住新番、岩本善兵衛、22石、庄内(上都城)より
移住」と記されている。
山名は山が横に傾いて見えることに由来する。
妻岳の石祠
山頂に高さ60センチほどの小祠があり、祠に「享和三年亥三月吉日、安山鈴兵衛、休八、
金八」と刻まれている。
この年は垂水家の家老、町田勘左衛門が、本役した年でもある。
このほか山頂に二本の石祠がある。
杖捨祠
垂桜登山道の途中、高さ60センチほどの小祠があり、背面に「天保13年正月16日 
松原講中」とある。松原の地名は花岡島津領に小字として出てくるが祠の石質が
鹿児島の河頭石に近いことから、鹿児島の松原の若衆が講中を組んで垂水郷から
岳参りしたのではないかと思われる。杖捨てとは、もうここからは杖はいらないという
意味で、実際このあとは、なだらかな尾根歩きになる。。
今でも、この祠の前に杖を置いていく登山者がいるようで、たくさん杖がおいてある。
高隈天狗 大箆柄岳に近い山中に天狗の石像がある。
山伏の出で立ちで、背中から羽根がはえ、石像の背面には「享禄戌子九月吉日、盆山」
と刻まれている。享禄戌子は、1528年室町の時代。
像は、志布志湾を望んでいる。
キワノキ山神
大きなモッコク(別名ブッポウの木)の前に、60センチほどの祠がある。
正面に「元禄六年四月」と刻まれている。
際(キワ)だって目立つ木(ノキ)という意味で、厄除けの霊験があると伝えられている。
花岡の山神 花岡の旧道沿いに高さ1メートルほどの大祠がある。
当時花岡島津領の狩り場で、花岡の若衆が講中を組み狩りを楽しんだ折り、子の地に
山の神を献納したものと思われる。
祠の東側に「此山者、享保十一年午八月十八日賜、花岡狩倉乃山之御神、奉建立者○○」
西側には、「享保十二丁未歳○十月五日、花岡講中、白敬」とある。